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しぎはらひろ子プロフィール

2014-08-15

しぎはら ひろ子(鴫原弘子)
しぎはら ひろ子(鴫原 弘子)
ファッションプロデューサー
服飾専門家
日本ベストドレッサー賞選考委員

松下通信工業(株)研究開発職を経て23歳でファッション業界に転職。
デザイナー、アパレル企業コンサルティングファームを経て、ミストグレイ・ファッションプランニングを設立。シューズブランド【JELLY BEANS】の立ち上げ、【SHIBUYA109】・「JR東日本(アトレなど)」ブランド戦略・プロデュース、商品企画を行う。これまでに8万5千人以上のアパレル販売員・スタイリストの服飾指導をしている【服飾戦略】【服育】の第一人者。

「服は内面を磨き自信を育て、内面は見た目に反映され魅力となり、仕事の評価が上がり、稼げるようになる」を理念とし、個人スタイリングを行う。メディア露出が増え収入が上がると評判になり、経営者・政治家・弁護士・医師・士業からの信頼が厚い。一般企業向けに服飾戦略セミナーを行っている。著書に「見た目」を変えて劇的に収入を上げる存在感のつくり方を指南した『その無難な服では稼げません!朝5秒の鏡の魔法』(講談社)がある。

ファッションをロジカルにわかりやすい言葉で解説できる専門家として定評があり、 テレビ・雑誌・メディア出演・講演・セミナーで活躍中。 ※特に会場のギャラリーを巻き込む参加型セミナー・講演は大人気で、口コミやリピートが多い。

しぎはらひろ子より皆様へ

『感謝・寛容・慈愛を抱き、人として美しく』

鴫原 弘子[しぎはら ひろこ]プロフィールはじめまして。

「しぎはらひろ子」と申します。 幼少の頃から、「綺麗なモノ」が大好きでした。 朝露に光る、ダイヤのように輝く水滴・雪の結晶・太陽光に宿る光のプリズム・・・ オウムガイの断面の完璧な螺旋・真珠の持つ何千色もの色・・・・ 大自然の織り成す「壮大な芸術」は、いまだに見飽きる事がありません。お絵描き・塗り絵・お人形さんの洋服作り・・・子供の頃の夢は『綺麗なモノを作り出すお仕事』でした。 中学生の時、まだ、日本にデザインという概念が育つ前から、「工芸図案科」として、多くのデザイナーを輩出してきた、歴史ある「県立神奈川高校・産業デザイン科」の存在を知り、デザイナーを目指し、進学致しました。 日本のデザイン史に新風を送り込んだ、多くの実績ある先輩方の学ばれた学び舎で、多くのことを、学べた事、時を経て尚、親交のあるデザイナー仲間に出会えた事を幸せに思っています。

好きな事だから、努力を『探究心』と捉え、夢中で、仕事をした20代。

鴫原 弘子[しぎはら ひろこ]プロフィールデザイナーの見習い業務の一日はかなりハードです。

布地のストックルームから、先輩の指示にしたがって、 重い反物を一日に何度も運んだり、素材に合わせて、 リボンや、ボタンを染めたり、肉体労働でした。 仕事が終わると、デザイナー仲間と、 原宿や、六本木に繰り出し、クラブなどで、ファッションチェック! そんな中、一足先に帰宅し、自宅でひたすらデザイン画を書いていました。

おかげさまで、24歳の時に異例の速さで、自身のブランドを持つことが出来ました。 が、思うように売れなくて、「ブランドを成長させる事」の厳しさを身を持って体験しました。 この苦い経験が、後に、どれほど役に立ったかは、言うまでもありません。

鴫原 弘子[しぎはら ひろこ]プロフィール26歳の時に、青山に「古着とアンティーク」のお店をオープンしました。

3ヵ月に一度、『イギリス」に買い付けに出かけていました。 デザイナーの仕事を続けながらではありましたが、 急がしく、楽しい毎日でした。

洋服の歴史の深いイギリスで、アンティークのドレスや、 仕立ての美しいメンズ服・ 本物のビクトリアンアクセサリーに触れる事は、 美意識を磨く為に、とてもよい勉強になりました。 このとき扱っていたイギリス製のドレスが好評で、 アンアン等の雑誌にご紹介いただいたり、 友人の結婚式用に、とても喜ばれました。




出産・仕事・子育て、忙しくても、楽しかった、30代

鴫原 弘子[しぎはら ひろこ]プロフィール30歳を目前に、「ミストグレイファッションプランニング」として独立しました。おかげさまで、一千万円の売り上げスタートでの、順調な立ち上がりでした。クライアントも一部上場を中心に、
デザイン〜MD〜戦略へと、仕事の幅も広がりました。

32歳の時に、娘を出産しました。妊娠中に大きなプロジェクトを抱えていた為、7ヶ月目の出張時に、「逆子」になってしまい、帝王出産を余儀なくされました。が、妊娠中の徹底した、自然食のおかげで、母子共にとっても丈夫でした。

仕事を止め、子育てに専念してくれた主人のお陰で、
出産2ヵ月後に仕事復帰致しました。子育てと仕事の両立は、
大変な面もありますが、子供の可愛さを前にすると、全ては、小さな悩みに思えてしまいます。

35歳の時、山手の自宅を総リフォームしました。
この時は、デザイン・図面・資材手配を、ミストグレイ、施工を工務店様に、お願いしました。


娘の涙・母の認知症。仕事再開! 

鴫原 弘子[しぎはら ひろこ]プロフィール娘が、小学校に入学して間もないある日、仕事で夜遅く帰宅した私に、 『ふつうのお母さんがいい』と言って、大粒の涙をポロリ。

その一言は、母親である私の心深くにグサリと突き刺さりました。

『一番大切な娘にとって、世界でたった一人の母である自分。 今娘が一番必要としてるのは(ふつうの母親)!』

この事がきっかけで、これまでの仕事中心の生活を一変し、 家庭に入りました。初めての専業主婦体験。 はじめは戸惑う事ばかりでしたが、ご近所のママ仲間も出来ました。

娘の「ジェニーちゃん」のお洋服を、立体裁断でつくり、 夢中になりすぎ、「もうつくらなくていいから・・」と、 娘にあきれられたりしながらも、 専業主婦の楽しさも、知る事が出来ました。 この時期、実母が認知症を発祥し、介護も大変でしたが、 大人になってから、母と二人でゆったりと過ごす事の出来た豊かな時間でした。 大切な家族と、ゆっくりと向き合う事で、仕事をしているときには気づかなかった、多くのこと学べた気がしています。 有料老人ホームにお世話になる事で、心と身体に少し、ゆとりも出来ました。 また、娘の小学生時代には、近所のママたちと子供達で 「アラスカ」にオーロラを見に行ったり、「バリ」のプール付きヴィラに滞在したりと、 いろいろなところへ遊びに出かけました。 5年生になり、「お仕事したいんでしょ。デザイナーに戻ってがんばってね!」 と言ってくれた娘の一言をきっかけに、再び本格的に、仕事を開始しました。

 

自分の人生のフルコースを楽しく味わう

鴫原 弘子[しぎはら ひろこ]プロフィール社会人になってから、初めて経験した、仕事をしなかった5年間。

娘とのたくさん思い出と、家族との豊かで、濃密な時間は、人としてバランスよく成長する為の、神様からのプレゼントだったような気がしています。

「専業主婦としての毎日」・「仕事との両立」。

そのどちらにも、大変な部分も、楽しい部分もあります。 人生の流れの中で、時々に応じ、「たくさんの選択肢を、人生のフルコースとして、楽しく・おいしく、味わう事」が出来るのも「女性ならではの幸せ」だと思っています。

たくさんの事を経験し、感じ、学んだ事を、仕事の中に、きめ細かに丁寧に、織り込んで行くが出来るのも、 女性ならではの、特権だと思っています。 これまでの人生を通じて学んだ、多くのことを、仕事の中に反映していきたいと、思っています。

そして、たくさんの女性たちが「自分の人生のフルコース」を、慈しみ、味わうお手伝いが出来たらと、心から、 願っています。 これから出会う皆様と、素晴らしいご縁ができますように。

どうぞ、よろしくお願い致します。

「服飾・デザイン・ブランド構築」本物の知識と技術の習得を。
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